グループ展:水辺の風景

水辺の風景―新岩渕水門

新岩淵水門
1982年

変わらないものなんてない。
川にはいくつもの橋がつくられては朽ちて架けかえられ、
水門のいろも赤から青に変わる。
ちょうどそのころ平凡な男女が結ばれようとしていて、
これからずっと一緒だよというありふれた約束をかわした。
幸い、この誓いが変わらないことを私は知っている。
まだ生まれてもいないけれど。

水辺の風景―新田橋

新田橋
1993年:5歳

もうすぐおうちだよ、と父がぐずる私を抱えあげる。
ほらこの橋のあんよはふしぎだね、Aのかたち。
エーってなに? ABCのAだよ。
英語のエーであっちのあ、と下流を指さす。
エー? あっちのあ? あっちになにがあるの?
なんだろうね、ちゃんとおうちまで歩けたら教えてあげる。
ほんと? 約束だよ。

水辺の風景―小台橋

小台橋
1999年:11歳

あっちが荒川区でこっちが北区。
あーあ、友だちもこんなふうに簡単に
行ったりきたりできればいいのに。
家に帰ると、さっき通った橋のいろが頭に浮かんでくる。
男の子は黒で女の子は赤、
だったら仲直りは緑いろでいいかなあ。
あらあらけんかでもしたの、と母が笑う。
べつに。おかあさんはなにいろが好き?

水辺の風景―桜橋

桜橋
2002年:14歳

向かいがわにおなじ学校の生徒がいることに気づいて、
あわてて顔をそむける。
頭が軽く、頬に毛先を感じた。
知らない子だけど、なんだか負けた気分。
だったら、この橋のかたちはXだし、
と名も知らぬ女子生徒の長い髪を見ながら私は
なかばやけぎみに決心する。
せめて得意になってやろうじゃないですか、数学を。

水辺の風景―新大橋

新大橋
2007年:19歳

かつて人助け橋、お助け橋と称されたと聞いた。
だけど、いまはちっとも私の助けになってくれない。
昔の話だから、すでにご利益が
うせてしまったのかも知れないし、
そもそもここは橋の上じゃない。
うまい言葉が見つからず、
けっきょく返事の代わりに手をつなぐことにする。
もうちょっと歩こう、あの橋わたりたい。

水辺の風景―中央大橋

中央大橋
2012年:24歳

橋の中央で着信があって、
橋脚部に「メッセンジャー」がいることを思い出す。
差出人は見るまでもない。
急な休日出勤が入るとかならず夕食をご馳走してくれるの、
というと両親はそろってあきれた顔をした。
じゃあきょうは、と返信をうつ。
きみに免じて私がフレンチでもおごりましょうかね、
メッセンジャーくん。

水辺の風景―築地大橋

築地大橋
2016年:28歳

いままで幾度となく橋を渡った。
それっていくつもの約束に似ている、とぼんやり考える。
遠いむかし、橋の上で父に抱かれ、
私はなにかを指さしていた。
あれはどちらの方角で、なんの約束をしたのだろう。
きょう私は、またひとつ橋をわたる。
たぶん、あのときに指したほうへ向かって。
これからも、なんども、一緒に。